2015.07.30 Thursday
ミケちゃん その1
我が家に新入り猫さんが来た。
名前はミケちゃん。この秋で13歳になる。
ニンゲンでいうといま67歳くらいだろうか。
(これはミケちゃんが家に来た次の日。目ヤニと涙がひどい)
私が2003年の春に、このマンションに引っ越してきて間もなく、マンション裏にある駐車場で出会った。
ミケちゃんは生後6〜7ヶ月くらいで、お母さんのサビ猫と、まだ生後2〜3ヶ月の黒猫、茶トラ猫(ミケちゃんの弟たち)といつも一緒にいた。
そのころ我が家には、いまは天国にいるルルさんとポロンがいたので、うちにあるキャットフードを軽い気持ちであげると、次の日もまた次の日も、同じ時間に同じ場所で待っているようになった。
姿勢良くちょこんと座っているミケちゃんの姿はいまでも脳裏によみがえる。
外の猫さんにごはんをあげるということはそういうものなのか…と、一度あげたらずっと責任を持たなければならないんだなと知り、私の外猫さんライフが始まった。
雨の日も、風の日も、今日はこないだろうと思うような台風の日も、ミケちゃん一家は私を待っていた。
しばらくして、近所で外猫さんたちのお世話、避妊手術をしているおばちゃんと出会い、ミケちゃん一家について話を聞いた。
ミケちゃんを避妊手術をするために捕まえて病院に連れて行ったら暴れてたいへんだったこと、それまではおばちゃんの家にごはんを食べに行っていたらしいが、それ以来来なくなった…ということを聞いた。
なので、だいたいのミケちゃんが生まれた時期を知ったのだ。
ミケちゃんの弟のクロスケ(黒猫)とチャトラ(チャイに似た茶トラ)、ミケちゃんはとても仲良く遊んでいた。私とエノコログサ(猫じゃらし)でいっしょに遊んだりもした。
クロスケとチャトラが木登りして降りれなくなったこともあったなあ。
みんなほんとにかわいい子だった。
やがて3匹が母猫と離れる時期が来た。
そしてクロスケとチャトラはその辺りのボス猫から喧嘩をふっかけられるようになった。
外の世界では餌やメス猫をめぐっての縄張り争いがあり、同じ場所にオスは何匹もいられない。弱い子はそこを離れなければならないらしい。
膝に乗ってくるほど甘えん坊で私になついていたクロスケとチャトラは、いつのまにか姿を見せなくなり、少し離れた場所でたまに見かけたが、噂では数年後に2匹とも亡くなったようだ。
あんなになついてくれた子たちをなぜ保護しなかったんだろうかと、いまも後悔している。そのころは、外で幸せそうに暮らしている元気な子はそのまま見守ることがいいと思っていた。
いまでもクロスケとチャトラのことはしょっちゅう思い出し胸が締め付けられる。
出会ってから12年ちょっと。
母猫はいまも元気だが、私の元には来なくなった。別の猫おばさんからごはんをもらっているらしい。
ミケちゃんだけがずっと来続けた。どこか他のお宅でゴハンをもらったんだなあというときも、必ず会いに来てくれた。(おなかはいっぱいであげても食べないのだ)
若い時は高いフェンスをよじ登ったり、一軒家の屋根で昼寝をしていたり、運動神経がよく、気が強いレディーだったミケちゃん。
自分のテリトリーに新入りがやってくると、それがオスであろうと走っていき突き飛ばしていた。
でもボス猫に襲われ、肉がえぐられ膿がでるほどのケガをしていることもあった。
シャベルカーから垂れていた油が背中の毛にベッタリついてしまい、拭いてあげてもとれずに毛を切ってあげたことも。
思い出は、飼い猫と同じくらい、もしかしたらそれ以上たくさんあるかもしれない。
でも女王ルルさんがいた我が家には、もうひとり女王を入れるわけにはいかないので、ミケちゃんは外で見守る子…と自分に言い聞かせ、情が移りすぎないように心の中に壁を作っていた。
でも昨年の春ルルさんが旅立ったからといって、じゃあミケちゃんを…とは思えず、きっといつか「いまだ」と直感する日が来るだろうと思い、毎日ミケちゃんを見守って来た。
「いまだ」… それがいまだった。
(つづく)
名前はミケちゃん。この秋で13歳になる。
ニンゲンでいうといま67歳くらいだろうか。
(これはミケちゃんが家に来た次の日。目ヤニと涙がひどい)
私が2003年の春に、このマンションに引っ越してきて間もなく、マンション裏にある駐車場で出会った。
ミケちゃんは生後6〜7ヶ月くらいで、お母さんのサビ猫と、まだ生後2〜3ヶ月の黒猫、茶トラ猫(ミケちゃんの弟たち)といつも一緒にいた。
そのころ我が家には、いまは天国にいるルルさんとポロンがいたので、うちにあるキャットフードを軽い気持ちであげると、次の日もまた次の日も、同じ時間に同じ場所で待っているようになった。
姿勢良くちょこんと座っているミケちゃんの姿はいまでも脳裏によみがえる。
外の猫さんにごはんをあげるということはそういうものなのか…と、一度あげたらずっと責任を持たなければならないんだなと知り、私の外猫さんライフが始まった。
雨の日も、風の日も、今日はこないだろうと思うような台風の日も、ミケちゃん一家は私を待っていた。
しばらくして、近所で外猫さんたちのお世話、避妊手術をしているおばちゃんと出会い、ミケちゃん一家について話を聞いた。
ミケちゃんを避妊手術をするために捕まえて病院に連れて行ったら暴れてたいへんだったこと、それまではおばちゃんの家にごはんを食べに行っていたらしいが、それ以来来なくなった…ということを聞いた。
なので、だいたいのミケちゃんが生まれた時期を知ったのだ。
ミケちゃんの弟のクロスケ(黒猫)とチャトラ(チャイに似た茶トラ)、ミケちゃんはとても仲良く遊んでいた。私とエノコログサ(猫じゃらし)でいっしょに遊んだりもした。
クロスケとチャトラが木登りして降りれなくなったこともあったなあ。
みんなほんとにかわいい子だった。
やがて3匹が母猫と離れる時期が来た。
そしてクロスケとチャトラはその辺りのボス猫から喧嘩をふっかけられるようになった。
外の世界では餌やメス猫をめぐっての縄張り争いがあり、同じ場所にオスは何匹もいられない。弱い子はそこを離れなければならないらしい。
膝に乗ってくるほど甘えん坊で私になついていたクロスケとチャトラは、いつのまにか姿を見せなくなり、少し離れた場所でたまに見かけたが、噂では数年後に2匹とも亡くなったようだ。
あんなになついてくれた子たちをなぜ保護しなかったんだろうかと、いまも後悔している。そのころは、外で幸せそうに暮らしている元気な子はそのまま見守ることがいいと思っていた。
いまでもクロスケとチャトラのことはしょっちゅう思い出し胸が締め付けられる。
出会ってから12年ちょっと。
母猫はいまも元気だが、私の元には来なくなった。別の猫おばさんからごはんをもらっているらしい。
ミケちゃんだけがずっと来続けた。どこか他のお宅でゴハンをもらったんだなあというときも、必ず会いに来てくれた。(おなかはいっぱいであげても食べないのだ)
若い時は高いフェンスをよじ登ったり、一軒家の屋根で昼寝をしていたり、運動神経がよく、気が強いレディーだったミケちゃん。
自分のテリトリーに新入りがやってくると、それがオスであろうと走っていき突き飛ばしていた。
でもボス猫に襲われ、肉がえぐられ膿がでるほどのケガをしていることもあった。
シャベルカーから垂れていた油が背中の毛にベッタリついてしまい、拭いてあげてもとれずに毛を切ってあげたことも。
思い出は、飼い猫と同じくらい、もしかしたらそれ以上たくさんあるかもしれない。
でも女王ルルさんがいた我が家には、もうひとり女王を入れるわけにはいかないので、ミケちゃんは外で見守る子…と自分に言い聞かせ、情が移りすぎないように心の中に壁を作っていた。
でも昨年の春ルルさんが旅立ったからといって、じゃあミケちゃんを…とは思えず、きっといつか「いまだ」と直感する日が来るだろうと思い、毎日ミケちゃんを見守って来た。
「いまだ」… それがいまだった。
(つづく)