2009.12.30 Wednesday
今年をふりかえる2009〈魚さん編〉
気付けばもう30日。
今年もあとわずか。
ということで、ちょっとふりかえってみる事に。
最近、あまり魚さんたちの写真を撮る時間がなく、この日記にも書いていなかったが、実はいろいろあったのだった。
豆粒ほどの大きさの淡水フグ、アベニーパファーのダイズちゃん(♀)は、ある時喉のあたりに吹き出物のようなポチッと赤いものが出来ていた。
なんだろう、病気?と経過観察をしていたところ、少しずつそれは大きくなり、魚用の薬で薬浴を何度か試みたが、治る事はなく、でもあいあかわらず食欲満点だったので、命に関わる病気ではないのかなあと見守っていた。
そんな状態でも、夏には何度も卵を産み(お相手はアズキちゃん)、でも卵は孵化後、1週間もたたないうちにみんな死んでしまい、残念ながら2世は誕生しなかった。
今年の夏は、アズキちゃん(♂)しか発情せず、昨年やる気満々だったトラちゃん(♂)は、まったくそんなそぶりがなかった。
なんだか、食欲も以前ほどないなあ・・・と思ってると、11月の初めの朝、水槽の電気をつけるとトラちゃんは底に沈んで、すでに旅立ってしまっていた。
前の日の夕方は、ちゃんとエサも食べていたし、目立って病気の様子もなかったので、あまりにも急な死に、ただ呆然とした。
水槽から出したトラちゃんには、いままで魚さんが死んだときと同じように、お線香をあげ、ベランダのマーガレットの鉢に埋めた。
最初に我が家に来たアズキちゃんとダイズちゃんの2匹になってしまった1ヶ月後、今度はダイズちゃんが突然危篤状態に。
朝、水面に浮いて、力なくただよっていた。
やっぱり、できものが大きくなって、命をうばう原因になったのかなあと、もう治療をするのはやめて、最期は静かに過ごさせてあげようと、水流に流されないようにだけしてあげ、そのまま他の住人たちと同じ水槽で見守った。
ずっと見ていてあげたかったのだが、その日は仕事先の方とランチに行く約束があったため、後ろ髪を引かれる想いで3時間ほど家をあけた。
帰宅すると、沈んでじーっとしていて、エラも動いていない。
もう、旅立ってしまったのかな・・・と思いながらも、水槽の外から手をかざして、「ダイズ」と声に出して呼んでみると、なんとピクッと痙攣のように体を震わせ、そしてその後永遠に動かなくなった。
魚に私の声は聞こえるのだろうか。
ダイズという名前を認識しているのだろうか。
そんなことはないと思うが、命あるものには、言葉ではなくてもこちらの意志やエネルギーが伝わる・・ということをこのように時々体験する。
ただの偶然かもしれないが、わたしが帰宅して見送ることができるように、がんばっていてくれたのかもしれないなあと思う事にしている。
動かなくなったダイズちゃんの周りをずっと泳いでいるアズキを見るのがとってもつらかった。
しばらく別れをさせてあげた後、一ヶ月前にトラちゃんを埋めたとなりに、ダイズちゃんも埋めた。
元気だったころのダイズちゃんとトラちゃん。
アベニー水槽と呼んでいる水槽にはアベニーパファーがたった1匹になってしまった。
一番体が小さくて一番弱い立場だったアズキちゃんが、今は我が物顔で泳いでいる。
自分よりも何倍も体の大きいマスオさんやノリスケさん(コリドラス)、ハゼオくん(ニジイロボウズハゼ)、オトシンくん(オトシンクルス)、ネグロくん(オトシンクルス・ネグロ)たちと一緒に元気に泳いでいる。
命あるものを育てるということは、その数と同じだけ、別れがある。
何度経験しても慣れるものではない。
慣れてしまってはいけないと思う。
豆粒ほどの大きさの体に宿る命でも、やっぱり同じだけ悲しいものである。
来年も、見送る命があるかもしれない。
その時、「あぁ、もっとちゃんと飼ってあげればよかった」という後悔がないように、ちゃんとお世話をしよう、それが来年の(これからもずっと)目標だ。
最近早起きなので、日の出を見られる。
朝一番の光は、気持ちがいい。
今年もあとわずか。
ということで、ちょっとふりかえってみる事に。
最近、あまり魚さんたちの写真を撮る時間がなく、この日記にも書いていなかったが、実はいろいろあったのだった。
豆粒ほどの大きさの淡水フグ、アベニーパファーのダイズちゃん(♀)は、ある時喉のあたりに吹き出物のようなポチッと赤いものが出来ていた。
なんだろう、病気?と経過観察をしていたところ、少しずつそれは大きくなり、魚用の薬で薬浴を何度か試みたが、治る事はなく、でもあいあかわらず食欲満点だったので、命に関わる病気ではないのかなあと見守っていた。
そんな状態でも、夏には何度も卵を産み(お相手はアズキちゃん)、でも卵は孵化後、1週間もたたないうちにみんな死んでしまい、残念ながら2世は誕生しなかった。
今年の夏は、アズキちゃん(♂)しか発情せず、昨年やる気満々だったトラちゃん(♂)は、まったくそんなそぶりがなかった。
なんだか、食欲も以前ほどないなあ・・・と思ってると、11月の初めの朝、水槽の電気をつけるとトラちゃんは底に沈んで、すでに旅立ってしまっていた。
前の日の夕方は、ちゃんとエサも食べていたし、目立って病気の様子もなかったので、あまりにも急な死に、ただ呆然とした。
水槽から出したトラちゃんには、いままで魚さんが死んだときと同じように、お線香をあげ、ベランダのマーガレットの鉢に埋めた。
最初に我が家に来たアズキちゃんとダイズちゃんの2匹になってしまった1ヶ月後、今度はダイズちゃんが突然危篤状態に。
朝、水面に浮いて、力なくただよっていた。
やっぱり、できものが大きくなって、命をうばう原因になったのかなあと、もう治療をするのはやめて、最期は静かに過ごさせてあげようと、水流に流されないようにだけしてあげ、そのまま他の住人たちと同じ水槽で見守った。
ずっと見ていてあげたかったのだが、その日は仕事先の方とランチに行く約束があったため、後ろ髪を引かれる想いで3時間ほど家をあけた。
帰宅すると、沈んでじーっとしていて、エラも動いていない。
もう、旅立ってしまったのかな・・・と思いながらも、水槽の外から手をかざして、「ダイズ」と声に出して呼んでみると、なんとピクッと痙攣のように体を震わせ、そしてその後永遠に動かなくなった。
魚に私の声は聞こえるのだろうか。
ダイズという名前を認識しているのだろうか。
そんなことはないと思うが、命あるものには、言葉ではなくてもこちらの意志やエネルギーが伝わる・・ということをこのように時々体験する。
ただの偶然かもしれないが、わたしが帰宅して見送ることができるように、がんばっていてくれたのかもしれないなあと思う事にしている。
動かなくなったダイズちゃんの周りをずっと泳いでいるアズキを見るのがとってもつらかった。
しばらく別れをさせてあげた後、一ヶ月前にトラちゃんを埋めたとなりに、ダイズちゃんも埋めた。
元気だったころのダイズちゃんとトラちゃん。
アベニー水槽と呼んでいる水槽にはアベニーパファーがたった1匹になってしまった。
一番体が小さくて一番弱い立場だったアズキちゃんが、今は我が物顔で泳いでいる。
自分よりも何倍も体の大きいマスオさんやノリスケさん(コリドラス)、ハゼオくん(ニジイロボウズハゼ)、オトシンくん(オトシンクルス)、ネグロくん(オトシンクルス・ネグロ)たちと一緒に元気に泳いでいる。
命あるものを育てるということは、その数と同じだけ、別れがある。
何度経験しても慣れるものではない。
慣れてしまってはいけないと思う。
豆粒ほどの大きさの体に宿る命でも、やっぱり同じだけ悲しいものである。
来年も、見送る命があるかもしれない。
その時、「あぁ、もっとちゃんと飼ってあげればよかった」という後悔がないように、ちゃんとお世話をしよう、それが来年の(これからもずっと)目標だ。
最近早起きなので、日の出を見られる。
朝一番の光は、気持ちがいい。