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久しぶりに音楽の話題。

武道館でライブを見たのは何年ぶりだろう。
ビョーク以来かな。4年ぶり。

昨夜は斉藤和義さんのライブに行って来た。
斉藤和義さんの曲は以前から好きだったし、いいミュージシャンだなあとも思っていたけれど、ライブに行こうと行動を起こすまでではなかった。
たぶん、昨年の震災と原発事故がなかったら、昨夜わたしは武道館にいなかったと思う。
原発事故についての政府がついた嘘に対し、『ずっと好きだった』の歌詞を変えて「全部ウソだったんだぜ〜」とUstreamで斎藤和義さんが歌ったのを聴いたとき、とても救われたのだ。
ああ、原発のことを堂々と反対してもいいんだよねと。

そしてそのUstreamでのライブの中で歌った『空に星が綺麗』のおかげで、絵本のお話がひとつうまれた。(おはなしプーカ4月号のお話)

さらには、その後ある個人的なことでかなり落ち込んでいる時期があり、今まで聴いていたいろんな曲のほとんどが聴けなくなってしまった期間があったのだけれど、唯一、斉藤さんの曲だけはなぜか聴け、元気をもらえたのだった。

ある意味、斉藤さんは、というか斉藤さんが作り歌った曲たちは、わたしにとっての恩人であった。
そんなことを思っていた昨年も終わるころ、年明けの日記に書いたような不思議な夢を見た。
空にきれいな虹がかかっていて、その手前を一匹の龍が右から左へと飛んでいき、その下で斉藤和義さんが歌っている。。。あの夢。
その翌朝、きっとこれはライブに行けってことだわ!と単純なわたしは思い、ライブのスケジュールを調べたが、残念ながらわたしが行ける範囲の場所はSOLD  OUT。
2月10日の武道館ライブも。
しかも、ちょうどこのころはわたしにとってあまり嬉しくない予定が入っていて、身動きがとれない時期のはずだった。

残念だなあと思い一度は諦めていたのだが、ちょっとした奇跡が起きて、最近その招かざる予定はなくなったのだった。
さらには運良く追加公演が決定していて武道館2daysとなったので、絶対行かねば!とチケットをとり、昨夜にいたったのである。
いくつかの幸運がそろわなかったら、昨夜の時間はなかったのです。



そんないろんな想いを抱えて行ったライブだったので、楽しかっただけじゃない、特別な時間となりました。
ちょっとぐっとくることもしばしば。
そうそう、昨夜のライブで「虹」という曲も歌われました。
わたしは初めて聴いた曲で、これいい曲だなあと帰宅後調べてみたら「虹」というタイトルだったのですよ。
夢で見た虹と現実がつながりました。


ありがとう、斉藤さん。



その斉藤さん、ご自身のギター(今はもう使っていないギター)をオークションで売り、そのお金でギターを何本も買って被災地の学校に届けるということを企画してるそうです。
子どもたちがギターを習って弾くことによって、きっと楽しい時間をもてるんじゃないかなというようなことをおっしゃってました。
きっと斉藤さんご自身、ギターに救われてることがいっぱいあるんだろうなと思いました。
この日記を読んで下さってる方にギターを買うぞ!という方はいないだろうなと思いますが、興味ある方はお調べください。
たしか、そろそろサイトでアップされるはずなんですが。

☆追記:オークションサイトがプレオープンしたらしい。

ポッキーのギター、いいなあ。




| 音楽 | 19:26 | - | - | pookmark |
僕と彼女と週末に
「とりたま作戦」の絵本の絵を描くとき、ずっと聴いていたのは、Bank Bandの「沿志奏逢」。
以前、この日記に書いたような気がするけれど、絵を描く時に、その世界観のイメージにあった音楽を聴くことが多い。
それで、今回はこのアルバムだった。

絵本のタイトル等はまだここで書けないが(たぶん来週中にWEBにて公開なので)、このアルバムを聴いていて生まれる情景と、何か共通点がある気がした。

中でも、12曲目の「僕と彼女と週末に」(浜田省吾さんの曲のカバー)。

歌詞を聴きながら、これは、今の日本のことですか?とさえ感じた。
このままだと、遠くない未来にこうなってしまうのではないだろうかと。
(もうなっているのかもしれない。)
そして、大人たちはどうにかするために、立ち上がるときではないだろうかと。


浜田省吾さんが当時どういうことを伝えたかったのか、それはひとそれぞれの捉え方だと思うけれど、今聴いたわたしは、どうしてもこの日本の状況に重ねてしまいました。




「僕と彼女と週末に」(words & music  by 浜田省吾)

この星が 何処へ行こうとしているのか
もう誰にも わからない
権力と権力の See-Saw-Game から
降りることさえ出来ない
人は一瞬の刹那に生きる
子供は夢見ることを知らない

君を守りたい
君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の
愛を信じたい いつの日か

昨日の絵の具で 破かれたキャンバスに
明日を描く 愚かな人
売れるものなら どんなものでも売る
それを支える 欲望
恐れを知らぬ うぬぼれた人は
宇宙の力を 悪魔に変えた

君を守りたい ただひとりの
君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の
愛を信じたい いつの日か

*(語り)
「週末僕は 彼女とドライブに出かけた
遠く街を逃れて 浜辺に寝転んで
彼女の作ったサンドウィッチを食べ ビールを飲み
水平線や夜空を眺めて 僕らはいろんな話をした
彼女は彼女の勤めている会社のやな上役のことや 
先週読んだサリンジャーの短編小説のことを話し
僕は今度買おうと思っている 新車のことや 
ふたりの将来について話した
そして 誰もいない静かな海をふたりで泳いだ

明くる日 僕は吐き気がして 目が覚めた
彼女も気分が悪いといい始めた
そこでぼくらは 朝食をとらず
浜辺を歩くことにした
そして そこで とても奇妙な情景に出会った
数えきれないほどの魚が 波打ちぎわに 打ち上げられていた」

いつか子供たちに この時代を伝えたい
どんなふうに人が希望(ゆめ)をつないできたか

君を守りたい ただひとりの
君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の
愛を信じたい いつの日か

君を守りたい ただひとつの
君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の
愛を信じたい いつの日か









| 音楽 | 00:13 | - | - | pookmark |
UTAU
最近購入したCD、UTAU(大貫妙子&坂本龍一)。





1曲目の「美貌の青空」を聴きはじめてすぐに、今回のツアーのチケットをとらなかったことを大後悔。
この秋は、いろんな舞台(ハーパー・リーガン、シダの群れ、母を逃がす)のチケットをとったため、ちょっとお金使いすぎだなあ・・・とあきらめたのだが、あぁ、とるべきだった〜。


11曲すべてすばらしいけれど、とくに1曲目と6曲目(Antinomy)、8曲目(鉄道員)が好きだ。
大貫妙子さんの透明な歌声と坂本龍一さんのピアノの音色をずっと聴いていると、心のふかーいところに届いて、少しずつ心の中のにごっている部分が澄んでいくような気がする。

ここ数日は、ずっとこれを聴きながらお仕事しています。
まだ詳しいことは書けないのですが、絵本ではない、ちょっと変わったお仕事をしています。



| 音楽 | 23:21 | - | - | pookmark |
トイレの神様
つい先日、ラジオから聞こえた曲に聴き入った。
聞いて1分もたたないうちに、メロディーが涙のスイッチをみごとに押して、そして曲が終わる頃には号泣していた。
なんなんだ、この曲は。

10分くらいある長い曲。
詞が、物語のようになっている。

植村花菜さんの『トイレの神様』という曲。
『わたしのかけらたち』というミニアルバムの中の1曲。

たぶん、わたしはこのタイトルを聞いたときからもうその世界にひきこまれていて、まんまとはまってしまった。
でも、わたしのように、一度聴いて涙があふれ、忘れられなくなっている人が全国にたくさんいるらしい。
話題になっているらしい。



わたしが生まれ育った金沢には、トイレの神様のお人形があるらしい。
らしい・・・というのは、わたしは親や祖母からそのことを聞いた事がなく、知らなかったから。
母は金沢で生まれ育っで人はなく、祖母もいろんな場所に住んでいた人らしいので、代々金沢に暮らしている家庭とは違うのだ。知らない風習がいろいろある。
金沢出身の友人のブログで、いつだったかそのトイレの神様人形のことがかかれていて、初めて知った。
そのお人形はコチラ

この土人形のサイトでは、
「トイレをキレイに掃除すると安産間違いなし」
「トイレをキレイに掃除するとよい縁談間違いなし」
「トイレをキレイに掃除する病気にかかりにくい」
と書かれていたが、『トイレの神様』の歌詞では、
「トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら
女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで 」である。



プロモーションビデオがコチラから見られます。
どうぞ、みなさん泣いてください。



| 音楽 | 23:29 | - | - | pookmark |
フジコ・ヘミング ピアノ・ソロ・リサイタル
チケット入手した日からずっと待っていたこの日。
フジコ・ヘミングのソロ・リサイタル。
東京文化会館 大ホールへ聴きに行った。

昨年、初めて生フジコ・ヘミングを聴いたのは、ソロ・リサイタルではなく、オーケストラメンバーとの共演であったので、ピアノ・ソロは数曲だった。
(そのときの日記はコチラ
そして、やっぱり一度だけでもいいからソロ・リサイタルを聴きたい!という欲が出てチケットを買ったのだ。

席は6列目。
S席12,000円!
わたしにとってこれは大金。
でも、行ってよかったなあ、12,000円は全然高くないなあ、と思った時間であった。

生フジコ・ヘミングは二度目だから、昨年のようにボロボロ涙がこぼれることはないかな・・・と思っていたのは大間違い。
またもややられてしまったのである。
しかも、曲数が多いので、胸が苦しくて、息が苦しくて、終わったときには力つきてしばらく立ち上がれなかった。
フジコ・ヘミングから出ているエネルギーがものすごいため、クラシックを聴いて癒される・・ではなく、ロックのライブに行った後のようなかんじであった。


演奏中に思っていた事。
ピアノはただのひとつの道具なのに、その道具に演奏する人の魂が入って、音になって、耳からその音が入って来てわたしたちの心が大きく揺さぶられる。
きっと、同じピアノで他の人が演奏してもこうはならず、この人だから・・・の音が出る。
不思議で、そしてすごいなあと思っていた。
ピアノだけでなく、ギターやバイオリンなどもきっと同じ。
音楽だけでなく、きっと他のアーティストもそう。

それから、もうひとつ思ったこと。
何にでも限りなくお金を使える立場の人は違うと思うが、限られたお金を何に使うかを選ぶのは人それぞれで、不況といわれている今は、趣味・娯楽に使われるお金が削られている世の中。
わたしは、食べ物や洋服の贅沢をがまんしてでも、こういう形のない贅沢にお金を使いたい。



| 音楽 | 00:40 | - | - | pookmark |
フジコ・ヘミングを聴く
昨夜、東京オペラシティ・コンサートホールへ。
イングリット・フジコ・ヘミング&アンサンブル・ベルリンの演奏を聴きに行った。



わたしは、クラシックにはまったく詳しくなく、家でクラシックのCDやレコードを聴いているわけでもない。
ただ、フジコ・ヘミングがテレビ出演し、何曲か演奏しているのを何度か聴いた事があるだけだった。そのとき、なぜだかボロボロと涙がこぼれ落ち、ものすごく心が動かされた。
それ以来、一度は聴いてみたいと思っていて、今回チケットをとり、楽しみに待っていた。
そのうち・・と思っていると、実現出来なくなることだってあるので(例えば、フジコ・ヘミングが活動を中止するなど)、思い立ったら即行動・・・であった。

ホールで席に着き、まわりを見渡すと、年配のご夫婦や、女性同士が多い。
着物を着た年配の女性も何人かいた。
大人になってからクラシックのコンサートに行くのは初めてだったので、その雰囲気にもちょっとドキドキだった。
プログラムを見ると、休憩をはさんで第1部と2部がある。
そして、〜イングリット・フジコ・ヘミング&アンサンブル・ベルリンによる〜と書かれているのはたった1曲(第1楽章〜第3楽章)。他の曲目はアンサンブル・ベルリンによる演奏。
そうか、そうなのか・・・とビックリ&がっかりしたのは、間違いだったと後で気づくことになる。
イングリット・フジコ・ヘミング&アンサンブル・ベルリンによる演奏が始まり、フジコ・ヘミングのピアノの音が響いた直後、不思議な体験をする。
感動ということばはピッタリではない感情とともに、自然と涙があふれてきて止まらなくなった。ポタポタと、ひざの上に置いたプログラムの上に涙が落ちたので、自分でもどうしたことかと驚いた。
そして、演奏後、鳴り響く拍手の中、アンコールに応え、フジコ・ヘミングのピアノ・ソロ数曲が演奏された。
フジコ・ヘミング自ら曲目を述べたのだが、クラシックに無知なわたしにもわかったのは、最後の曲『ラ・カンパネラ』。
この曲はテレビでも演奏を聴いたことがあった。
ピアノ・ソロで演奏されたものは短調のものが多く、激しい感情がこめられた音であるように感じた。やはり、『ラ・カンパネラ』が最高に心を揺り動かした。
そして、またさらに涙があふれ続けるという、大変な時間となった。
ピアノ・ソロのこれだけの曲目を聴いただけで、もう胸がいっぱいになり、それ以上聴いていたら、苦しくなるんじゃないかという想いだった。
フジコ・ヘミング初体験のわたしにとっては、このプログラムがちょうどおなかいっぱいになる、内容だったのである。

この人のピアノの音は、どうしてこんなにも心を動かし、涙が出るんだろうと、聴きながら少し考えた。
ちょうど前日の夜、知人たちと食事をしているときに、わたしが「教会に足を踏み入れると、不思議にその空気だけでボロボロと涙がでるのはなんでだろう」と話すと、
「神聖なものに触れると涙がでるときがあるわよね」とおっしゃった方がいた。
そのことばを思い出し、フジコ・ヘミングの音と存在そのものが神聖な空気に包まれているんだろうか・・と思ったりもした。
そして、この人のピアノの音を聴いて、どんな情景が思い浮かぶかな・・・と、目を瞑って聴いてみた。
暗い森の中に、木々の葉の隙間からやわらかい優しい光が射し込む情景が浮かんだ。
きっと、この人が歩んできた壮絶な人生の中で、この音が生まれるんだろうなあと思った。
テクニックや最初からある才能だけではなく、人生そのものなんだろうなあ。


この音を聴けて、ほんとうによかった。
演奏後の鳴り止まぬ拍手に、頭を下げるフジコ・ヘミングを見ながら、
「ありがとうございましたと頭をさげるのは、こちらですよ」と言いたかった。




画家である父親の才能も受け継いだのだろうか、絵も抜群にすばらしい。
どの絵にも、ほとんどネコがいる。


| 音楽 | 13:50 | - | - | pookmark |
tico moon
昨日の日記で、ちょっと触れたtico moon。
一ヶ月ほど前に、雑誌MOEの『私のお気に入り』の校正(印刷前のチェック)原稿が、データで送られてきた。
そのとなりのページもデータに入っていて、おすすめCDのコーナーのCDジャケットに目がいった。
すてきなジャケットデザイン。
アーティストはティコ・ムーン。『ラズベリー』というアルバムタイトル。
「湧き出るようなアイリッシュ・ハープの音色と、それに寄り添うようなコードを奏でるアコースティック・ギター。・・・・・・」といった紹介文がある。
そのころちょうど、個展会場でのBGMを考えていて、なんとなくこのCDにピンとくるものがあった。
その勘を信じて、ネットで試聴してみる。
あぁ、これこれ!
描きたい絵の世界観と重なった。
何枚かのCDを出されているが、ジャケットにひかれたものを購入。



『くるみの木』というCDの中の『Rain』という曲を聴いて、雨の森の情景が頭の中に広がり、最初の大きな絵を描いた。

さて、この『ラズベリー』というCD。手元に届いて、ジャケットをあらためて見たとき、『あれっ、どこかで以前見ている気がする・・・』という感覚がわき上がった。
しばし考える。
そうだ、あそこで見たんだ・・と思い出したのは、先日日記で紹介した、靴職人の友人のブログ。
なんだか、その友人とは、同じ本を読んでいたり、同じ映画を見ていたり、ブログを読んでいると、あらアナタも、と思う事が結構ある。
どこか似ているところがあるのだろうか。
血液型は、その友人もわたしもB型だ。
それは関係ないかな。




昨年の秋、山梨へドライブしたときに買ってきたリンドウのつぼみが、色づいた。
秋ですな〜。



| 音楽 | 00:11 | - | - | pookmark |
アフリカ動物パズル/大貫妙子
美大に通っていた時、友人から大貫妙子さんのことを教えてもらい、『アフリカ動物パズル』というアルバムを、何度も何度も聴いた。
でも、それはCDではなく、レコードでもなく、カセットテープだった。
だから、そのうちテープがのびて、音が悪くなった。
でも、就職で上京した時も持って来て、それからも何度も何度も聴いた。

このアルバムを聴いていると、心がのびやかになって、自分もアフリカの草原に行ったような気分になる。
そして、メロディーから、歌詞の中のことばから、絵が浮かぶ。
このアルバムを聴きながら描いた絵がいくつかある。
まだ、絵本作家になる前、就職して、仕事をしながらも絵を描いていたころ。

今思えば、このアルバムも、わたしが絵を描く事を続け、絵本作家になった過程に重要な役割を果たしてくれたひとつだ。
そして、このアルバムを教えてくれた友人がいなければ、今のわたしもいないかもしれない。

若い頃、20代のころは、関わった人やものが自分に与えてくれたものの大切さを、今ほど気づくことはできなかった。
今、いろんなことを乗りこえて、42歳という歳だからこそ、そのことに感謝できるのかもしれない。
あらためて、ありがとう。


大貫妙子さんのそのカセットテープは、のびてきてしまったことと、そのうちカセットデッキが壊れてしまったこともあって、もう何年も聴いていなかった。
大貫妙子さんの音楽からも、しばらく離れていた。

ここのところ、なぜか無性にこの『アフリカ動物パズル』が聴きたくなって、CDを購入した。

音楽を聴くと、そのころのことが脳裏によみがえる。
実家の部屋で、日が暮れるころ聴いている情景。
一人暮らしの狭い部屋で、聴きながら絵を描いている情景。

同じ音楽を聴いても、そのときの自分の歳によって、感じ方が違うのが、またおもしろい。


写真は、23年前から大切にしている、カセットテープの『アフリカ動物パズル』。(注意:動物の置物たちは、おまけでついていたわけではありません)





| 音楽 | 00:11 | - | - | pookmark |
雨の日に聴きたい音楽
雨が降り続く。
菜の花が咲くころ(3月中ごろから4月にかけて)の長雨を、『菜種梅雨』(なたねづゆ)というらしい。『春の長雨』ともいう。

今朝、ラジオを聞きながら仕事をしていたら、
「雨の日に聴きたい曲は?」ということで、選曲されていた。

雨の日・・・そうだなあ、ショパン。
ショパンの『雨だれ』『子犬のワルツ』。
そう思い浮かんだわたしは、特別クラシックにくわしいわけでもなく、いつも聴いているわけでもない。
雨とクラシックがつながる、ひとつの思い出がある。

小学生の時、毎月クラシックのレコード(LP)が一枚届いた時期があった。
はっきり覚えていないが、たぶん、母が申し込んだ、そういうシステムの通販だったのだと思う。
そして、雨の日、学校から帰って、そのクラシックのレコードを聴きながら、紅茶を飲む・・というのが、わたしにとって、『素敵な時間』であった。
なぜ、雨の日なのか・・・でも、雨の日はそういう気分なんだと、子ども心に思ったのだ。
誤解のないように書いておくと、我が家は特別な上流家庭ではなく、一般的な家庭であった。
わたしも、お嬢様ではなかったし、いたって普通の少女だった。
だから、紅茶を飲むカップも、ウェッジウッドなどではなく、普通のもの。

そして、母は、音楽家ではなく、普通の専業主婦である。
でも、美しい音楽を聴かせるために、クラシックコンサート(市が開催するようなもの)に連れていってくれたり、子ども向けの演劇の舞台を見に連れて行ってくれたりした。
きっと、わたしにいろんな美しさや感動があることを、教えようとしていたのだと思う。
(あるいは、本人も行きたかったのかもしれないが)
母の狙い通り(?)、わたしはバイオリンの音やピアノの美しい旋律に感動し、鳥肌がたったのを覚えている。

そんな母には、感謝している。
残念ながら、音楽の才能はわたしにはなく、その道にはすすまなかったが、いろんなものに心を動かされる大人になれた。


その時のクラシックのレコードは、いまも実家にあるのだろうか。
今度探して見ようかな。

| 音楽 | 00:14 | - | - | pookmark |
ビョーク
絵本の締切前で、ここのところひきこもり状態だった中、つかの間の休息をとった。
夜の外出。

ビョークのライブに行った。
二ヶ月以上前から、待ちに待ったライブ。
ビョークのライブは初体験だった。
彼女の声が会場(武道館)に響きわたった最初から最後まで、胸がくるしくなるような感情がわきあがり、ずっと泣きそうだった。
なんなんだろう、この感覚は。
そう考えたとき、『あっ、そうだ』と思い出したことがある。
わたしは子供のころから、教会の中に入ると、その空気だけでなぜか胸がいっぱいになって泣きそうになる。
それはいまだに何故なのかわからない。
前世が罪人で教会で懺悔したのか?と思ってみたりはするが。

そう、その教会の中に身を置いたときと同じ感情になったのだ。
ビョークの声につつまれた空間は、私にとっては神様のいる空間のように感じた。
魂の声だからなのだろうか。

わたしは、魂をこめて絵を描いているとき、自分ではない何かの力を借りて描いているような感覚におちいることがある。
まれにではあるが。
本来の自分ではこの絵は描けないはずだ・・というものを、目には見えない誰かが助けてくれている感覚。

ビョークには、そんな目に見えない力が、わたしなどくらべものにならないほど、たくさん宿っているのかもしれない。
神の声。
天から与えられた声。

うらやましい。

やはり、歌は生で聴くのがいい。
絵もそう。
お芝居もそう。
魂が伝わってくるから。
| 音楽 | 00:46 | - | - | pookmark |
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